「本太(もとぶと)氷川神社」は約1500年前から鎮座していると伝えられる、さいたま市浦和区本太にある神社。
1650年頃に建てられた旧本殿が今も残る、本太氷川神社をご紹介します。
緑に囲まれた本太氷川神社
本太氷川神社は規模は大きくない神社ですが、立派な本殿と歴史がある素敵な神社です。隣には本太小学校があり、神社内には公園が併設されているので地元の方々の憩いの場にもなっています。
ちなみに本太という表記ですが、元府址とも書くようです。
祭神 | 建速須佐之男命(すさのおのみこと) |
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配祀 | 大日霊貴尊(お伊勢さま) 宇迦之魂命(お稲荷さま) 菅原道真公(天神さま) |
創建 | 不明(奈良時代以降) |
住所 | 埼玉県さいたま市浦和区本太4-3-33 Google Map |
駐車場 | 無し |
御朱印
本太氷川神社の御朱印はこちらです。
社務所に人がいない場合、隣のドアにあるインターフォンを鳴らせば御朱印いただけます。初穂料は気持ちをお納めください。
旧本殿
こちらが1650年頃に建てられたといわれている、本太氷川神社の旧本殿です。普段は柵が閉まっていて中に入れないのですが、このときは人がいたので許可をいただいて中に入らせてもらいました。
境内の立て札には次のような説明があります。
この旧本殿は、旧本太村の鎮守である本太氷川神社の本殿建て替えにあたり、現在地に移され、覆屋に納められて保存されることになったものである。形式は、一間社流れ見世棚造りである。
見世棚は、流造りや春日造りの本殿で、身舎の前面から向拝柱までの部分に棚状の床板が張られる形式であり、中世の絵巻物等に境内社、末社、小祠としてよく描かれている。一間社流れ造りの小規模な本殿が多いが、二間社、三間社もあり、内谷氷川神社本殿(浦和市内谷二丁目一五六〇 埼玉県指定文化財)では一間社二棟並列の形式をとる。国指定文化財の見世棚造り本殿は、近畿・中部地方に偏在するが、近世神社建築の調査が進むにつれ、浦和・大宮周辺では相次いで確認されている。
この旧本殿は蟇股が無いなど装飾的な部分が少なく、他に類例が無い。おそらくは、それ以前に存在した古い時代に建立された本殿を参考にして、その当時の一般的な本殿と比べ、より古い形態を守って建立されたものと考えられる。なお、この旧本殿内に納められていた宮殿(埼玉県指定有形文化財)には宝徳三年(一四五一)の墨書銘があり、それをのせる案には文安五年(一四四八)の墨書銘がある。
付指定の慶安三年(一六五〇)の護摩札(棟札)は、平成四年(一九九二)から二年をかけて行なわれた解体修理の際に、本殿内部から発見された。
埼玉県教育委員会、浦和市教育委員会、氷川神社
文化財
本太氷川神社には埼玉県指定の文化財が二つあり、上記の旧本殿と旧本殿内にあった宮殿一基が登録されています。
この宮殿は、旧本殿内にあったもので、幅三一.三センチメートルの方形の底板に地長神、内法長押をまわし、正面のみ板唐戸となっている。照りむくりの方形造りの屋根がのり、頂には露盤と宝珠を配している。総高は七四・八センチメートルを測る。神輿形であるが、轅を取り付けた跡がみられないので、宮殿として作られたものと思われる。屋根裏の墨書銘により、宝徳三年(一四五一)に新坐の大工次郎三郎らが造り、高埇左衛門盛影が大檀那となり寄進したことが知られる。これをのせる案にも文安五年(一四四八)の墨書銘がある。木鉾は、宮殿の前に組んで立てかけられており、各長さ一・六七メートルの素朴な作りである。
これらは中世の神社本殿内を知る上で、また、中世の郷である高埇郷の支配を知る上で欠くことのできない資料である。
なお、旧本殿は桃山時代の建立になる一間社流見世棚造り、市指定有形文化財となっている。
埼玉県教育委員会、浦和市教育委員会、氷川神社
上向福徳神
上を向いて明るくいきましょう。僕はこちらの摂社がすごい好きで、本太氷川神社によく参拝しにきています。めちゃくちゃ元気をいただける気がするのです。個人的にはパワースポットだと思っています。
上向いてます!
弥栄 三鳥居くぐり
本太氷川神社には大きな鳥居が3つあり、くぐる順番が決まっています。順番ごとに鳥居を紹介します。
一、昭和鳥居
一番大きな鳥居です。綺麗な朱色でとても立派ですね。
二、室町鳥居
本殿の前にある鳥居です。
三、明治鳥居
こちらが三つめの鳥居。この写真を見ると、三つの鳥居の位置関係がわかると思います。
力石
力自慢の方、ぜひともチャレンジを。
僕はチャレンジしていないので分からないですが、見た感じ地中に埋まっている感じがするので、持ち上げるのは不可能な気がします。
写真で見る本太氷川神社
それでは神社内にある他の摂社などを写真で紹介していきましょう。
調神社もいいですが、本太氷川神社もいいですよ。